2018年8月7日火曜日

イタリア映画おすすめ 俳優編【第1弾!アルベルト・ソルディ】

イタリア映画おすすめ 俳優編の

第一弾は アルベルト・ソルディ



イタリア映画について話すときに

避けて通れない人
アルベルト・ソルディ。

約200本の映画に携わりました。



出典:Wikipedia:とても有名なワンシーン
映画"Un americano a Roma"(1954)より




イタリア国内で知らない人はいない
国民に愛された俳優です。




笑ったら

幸せを感じる。

ソルディは

笑わすと
幸せを感じた。

みんなで思いっきり

笑って幸せを感じられる
コメディーです。




出典:Wikipedia:アルベルト・ソルディ(1980年)


たくさんのコメディーを

生み出しましたが


残念ながら

日本語版をみつけるのは
難しいのです。


出典:Wikipedia:Guglielmo il dentone(1965)


ヴィットリオ・デ・シーカ監督の

映画に数多く出演していますが、

18本の映画を自らも監督しています。



販売されているのは


青春群像 [DVD]


素晴らしきヒコーキ野郎 [DVD]


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(石原裕次郎と共演)

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白い酋長 [レンタル落ち]


ぐらいでしょうか。

彼の作品のごくごく一部です。


出典:Wikipedia:喜劇俳優トトとアルベルト・ソルディ


ただ、

観れるチャンスは
まだあります。

wowowで放送されたり


最近便利な

色々なインターネットTVが 
あります。



また時々、

映画館でも
上映されるようなので

イタリア映画祭などは

チェックして


もし

彼の作品があれば
ぜひぜひ
見てみて下さい。




アルベルト ソルディ(Alberto Sordi)について



出典:Wikipedia:青春群像のワンシーン


1920年生~2003年没。
ローマ生まれ。
ローマっ子。
俳優、脚本家、映画監督、歌手、声優。

2003年
ローマ大聖堂で行われた
葬儀には25万人が参列した。



1920年~


教師の両親のもと
2人の姉、2人の兄の
5人兄弟の一番下に生まれた。

二人目の兄は生まれた数日後に
死亡してしまいましたが、
アルベルトと名づけられていました。

その後、
第5子として生まれた
アルベルトに名前が引き継がれた
ということです。
日本では考えられませんが。


アルベルトは
小学校のころから
すでに
人形劇を
自分で開催したりしていました。

子どものころから

エンターテイナーだったのです。


システィーナ礼拝堂の
ボーイソプラノ聖歌隊として
活躍する一面もありました。


声変わりをした後は
しばらく
オペラの勉強にも励んでいました。

1936年には
子供向けの童話のレコードを
フォ二ット(Fonit)から発売し、

この資金をもとに
ミラノに行き、
演劇の学校に
通おうとしました。


しかし
数週間で退学となりました。😅

(教師がアルベルトに
ローマの方言の発音を注意するが、
言いごたえを面白可笑しくしたため
退学になった
と本人がテレビ番組で後に語る。)

 
出典:Wikipedia:ラジオ時代のアルベルト・ソルディ


1937年~1950年代


ローマのチネチッタで

エキストラの仕事を
見つけたりして働いていました。


同じ時期に

オーディションに合格し、
声優として仕事をし始め、

1956年まで声優として

働いていました。


1938年

念願かない、
劇場デビューをしました。

1946年から

仕事をしていた
ラジオ番組で

鼻にかかった声で話す

みんなに嫌がられる登場人物を
何人も作り出し
面白おかしく演じていた。



ヴィットリオ・デ・シーカは

そのうちの一つの役柄が
大のお気に入りで、

これがきっかけで

ヴィットリオ・デ・シーカと
アルベルト・ソルディが創立した

P.F.C(Produzione Film Comici) 

<コメディー映画製作>を通して

"Mamma mia. Che impressione!" (1951年) 

ロベルト・サバレーゼ監督作品で
映画出演をした。



その数年後

フェデリコ・フェリーニ監督の
"白い酋長"(1952年)
白い酋長 [レンタル落ち]

"青春群像”(1953年)

青春群像【デジタル・リマスター版】 [DVD]
では人気者となりました。

また、


"無常なるかな人生” (1953年)


“ウン アメリカーノ イン ローマ (ローマのアメリカ人)” (1954年)


の2つの映画に共通する

登場人物の
アメリカに執着する青年
ナンドの人気が爆発しました。

このナンドと “ピッコラ ポスタ” (1955年)

登場人物で

1950年代の

アルベルト・ソルディを代表する
役柄を確立し、
ヒットをとばしました。


その役柄は

腰抜け、たかり屋、怠け者、幼稚で自己中心的な
青年というものでした。




出典:Pixabay



1960年代~


コメディーだけでなく
"戦争・はだかの兵隊” (1959年)では
ドラマチックな役柄にも
力量を発揮しました。


この時期に

わたしのおすすめする

”イル ヴィジレ (警官)” (1960年)


”素晴らしきヒコーキ野郎” (1965年)


”イル メディコ デッラ ムトゥア”(1968年)

を発表。


1970年代~

“フィンケ チェ グエラ、チェ スぺランツァ” (1974年)
もおすすめ。

”イル マルケーゼ デル グリッロ (グリッロ侯爵)” (1981年)

の名セリフは忘れられません。

"Incontri proibiti (インコントリ プロイビーティ)" (1998年)は、

2002年に"Sposami papa'  (スポーザミ パパ)" 

という名で再編集された監督、出演最後の映画




作品



青春群像  (1953年)


あらすじ

無職の若者5人のお話。

イタリアの
アドリア海に面する街リミニが舞台。

仕事もなく
することもない若者たちの
毎日の生活。

本当は都会に出て、
仕事を見つけ、
自分で人生を歩みたいと
思ったりもするが、

一歩を踏み出せない
もどかしさ。

そこで
アルベルト・ソルディの演じる
5人のなかで最年少の
アルベルトは。。。



素晴らしきヒコーキ野郎 (1965年)


あらすじ

1910年のロンドンが舞台。

新聞社主催の
ロンドンーパリ飛行機レースに
賞金目当てで
世界各地から強者が集まる。


各国の参加者たちは

それぞれの国特有の個性を発揮し、
レースに臨む。

イタリア人ポンテチェリ伯爵を演じる
アルベルト・ソルディ

女好きなフランス人デュポワと
型にはまった性格のドイツ人フォルスタイン大佐の
決闘の間にはいり丸く収める。

イギリス人アーミテージ卿はずる賢く、
石原裕次郎が演じる
日本人ヤマモトの酒に下剤を含ませるが、
上手くいかず、ライバルの飛行機に細工をする。

さて、
レース当日どんな展開になったのか。。。。
楽しみですね。




華やかな魔女たち (1966年)



オムニバス映画の
第二話「市民気質」に登場。


あらすじ

舞台1960年代のローマ。

アルベルト・ソルディ演じる
自動車事故でケガをしたトラックの運転手

病院に連れて行こうと

美女マンガーノが
自らの車を救急車の代用に使い、

白いハンカチをひらめかせ
車の間を縫って突っ走る。

トラックの運転手は
彼女の行為に感動するが。。。

さて、
なにが待っていたのでしょうか。。。



白い酋長(1952年)


あらすじ


アルベルト・ソルディが演じる
”白いシーク”というドラマのスター、
リボリ
大ファンのワンダは、

ローマに新婚旅行で来たのにもかかわらず、
夫の目を盗み、
リボリを一目見ようと
撮影所に向かった。

ひょんなことから、
図らずも代役として
リボリと共演することになる。


リボリに口説かれそうになる
ワンダだが、

妻が現れるなり、
豹変した態度のリボリを目の前に
自分の過ちに気づく。


夫のもとに帰るに帰れず。。。
さて、どうなったのでしょうか。





など約200作品。



名セリフ



映画の
設定年代当時を
よく表しながらも
普遍性を持つ名せりふ。


セリフだけを見ても
ぴんとこない
かもしれませんが、

映画を見る機会があったときに
ふと思い出して下さい。


グリッロ侯爵(1981年)より


" Mi dispiace.   Ma io so' io e voi non siete un cazzo!"


グリッロ侯爵が下町の食堂で捕まった

貧しい人達に振り返り放ったセリフ。

「申し訳ない。

だが私は俺様。

お前たちは何の価値もない

くそったれの奴らなんだよ。」





警官(1960年)より



"E' meglio che ti ci abitui da piccolo alle ingiustizie, 

perche' da grande non ti ci abitui piu'!"


ローマの警官オテッロが

息子に向かって言った教訓。


「小さい頃からこの世の不公平さに

慣れとくほうがいいんだ。

大きくなってからじゃ難しいからな。」







他、多数。



まとめ




ローマのチネチッタの全盛期に

マルチェロ・マストロヤンニ

ソフィア・ローレンとともに

活躍したアルベルト・ソルディ


また
カルロ・ヴェルドーネは

アルベルト・ソルディの芸風と似ていて

自然と後継者のように
語られたりします。

アルベルト・ソルディと

2本の映画を製作しました。

1本はソルディ監督作品、

もう1本はヴェルドーネ監督です。

現在もコメディー界で
活躍しています。



たくさんの影響をのこし、
たくさんの心に残る映画を
残したアルベルト・ソルディ。


ぜひとも
あなたにも

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